大川硝子工業所

読みもの

家業の延長につくる、それぞれの道。

僕の好きな人 vol.1 -前編
Guest 高橋秀之さん(senkiyaオーナー)

ガラスびんを軸としながら、さまざまな分野の方とともに日々活動している大川硝子工業所。そんな大川硝子にゆかりのある人と代表の大川が、仕事や生活にまつわるあれこれをトークする「僕の好きな人」。

記念すべき第一回目の対談のお相手は大川と同じ年齢で、長く続く家業や土地を継ぐなど環境や生い立ちが似ているという「senkiya」のオーナー高橋秀之さんです。senkiyaとは埼玉県川口市にある雑貨店兼カフェで、代々続く植木屋「千木屋」の屋号を4代目として継いだ高橋さんが実家の母屋をセルフリノベーションしてつくられました。

そんな二人の出会いのきっかけは2017年10月、Familiarシリーズをリブランディングした後に新たな取引先を大川が探していた時。当時は小規模店舗との関係が少なかったため、全国各地の気になるお店へSNSでコンタクトを取っていた中、senkiyaにも商品の取り扱いをお願いすると『取り扱いもできますけど、POP UP STOREをやってみませんか?』と逆に提案され話が進んでいきました。

お互いにシンパシーを持って始まった付き合いから早5年。それぞれいま思うことを語り合いました。

直感でわかった、お互いの面白さ

大川 初めてお店に訪れた時、『なんだこの素敵な空間は!』ってびっくりしたのをよく覚えてる。その時店内にユニコーンのすごくマイナーな曲が流れていて、俺ユニコーンが大好きだからすごく盛り上がっていたら、ヒデさん(対談相手の高橋さん)が『バンドやりましょうよ』って誘ってくれたんだよね。初対面なのに。それで何の楽器をやっているのか聞いたら、マコさん(高橋さんの奥様)が『あの人何にも出来ませんよ!』って(笑) なんだ、間口が広い割には適当な感じだな、といい意味で思ったよ。

高橋 (笑)あんまり話してないのに、バンドやる話になるなんて適当だよね。

大川 でも、その後よくよく話してみるとヒデさんとは家業のこととかライフステージのこととか境遇が似ているし、自分の街に愛着はあるけどどこか煮え切らないものがお互いにあって、それでこの人には他の人には話せない共有できる部分が多いかもって思ったの。

高橋 適当だったかもしれないけど、このお店を始めた時から、ずっと直感で動いてたんだよね。 その頃は特に告知もせずにお店を始めたのに、どうやってこのお店を知ったのかを不思議で、来てくれた人に『なんで来たんですか?』って毎回話しかけていた。 当時わざわざお店に来てくれるのはアンテナが高くて、本当に面白い人が多くてね。話の流れからイベントやロゴデザインをお願いしたり、フィーリングが合ったら二言目には依頼しちゃってた。 そうやって感覚で物事を選んできたので、大川くんも多分面白い人だろうなって直感的にわかったんだと思う。

senkiya誕生の秘話

大川 ところでヒデさんはどうしてsenkiyaを始めることになったの?

高橋 少し長くなりますが話しましょうか。
まずお店は埼玉県川口市にあって、半分が植木の町でもう半分が鋳物の町。うちの家業は代々植木屋で、ひいおじいちゃんは梅や桃、枝物の花を扱っていて、おじいちゃんはチューリップやクロッカスの球根、父親はポット苗を中心にやっていて。代々「千木屋」としてやってきているけど、扱うものがそれぞれ違っていたんだよね。

自分も将来植物関連の仕事に就くだろうと思って花の専門学校に2年間通った後、花屋に就職して。しばらくして、栃木県黒磯にある花屋に就職した同級生のところに遊びに行ったんだけど、そのときに「SHOZO CAFE」を紹介してくれて。すぐ近くにある那須ではなく、こんな地方都市になぜこんなおしゃれなお店があるんだ!と衝撃を受けた。そうしてお客さんとして通うようになって憧れが募っていく中で、求人の機会を得ることができて。そこで店主の省三さんと自分の考えが似ていると熱弁して晴れて働けるようになったの。

大川 おおー。どういう部分が省三さんと似ていると思ったの?

高橋 那須という観光地がすぐ近くにあって、元々黒磯は素通りされるような場所で。それでも省三さんは観光地ではないところに人を集めている。自分の地元の埼玉も、東京がすぐ横にあって目的がないと行かない。でも地元に紹介出来るところがあるといいなという想いはずっとあったので、その那須と黒磯の関係、東京と埼玉の関係が似ているんではないかと。
それでSHOZO CAFEでスタッフとして2年間ほど働いた後、地元に戻ってお店をやろうと決心したんだけど、自分の街には思い描くような空き物件がないし、どうしたらいいんだと考えていたところ、うちの植木屋で使っていた時の建物があることに気づいて、そこをお店にすることを思いついたんだよね。

高橋 最初に来たのは、訳あって新たな物件を探していた車屋さん。車を運ぶ場所がないからとりあえずうちの倉庫に運んで、そのままここでお店やればって父親から言われて始まって。その後もアクセサリー屋さんや雑貨屋ができたりしてね。

2010年に子供が生まれて一旦閉めたけど、2011年に震災が起きた翌日にお店を開けてみたらすごい人が来たの。1年間雑貨屋をやっていた時に出会った人だけど、『大丈夫だった?』って人が集まって来てくれて。 お客さん同士が安否確認する状況を見て、人が集まる場所を早く作らなきゃいけないと思って、すぐにカフェをつくった。その後も建築事務所や革の作家さん、ベーグル屋さんや本屋さんと、いろんな人が集まって来たんだよね。

家業を意識して学校を選ぶ

大川 こう話を聞くと、いまに至った経緯はそれぞれ全然違うけど、お互いに似ているところは、家業が植物の仕事だからヒデさんが花の専門学校へ行ったように、俺も大学では食品製造工学を専攻していたんだよね。ハムや缶詰の作り方など工業的に勉強する学部で。それは親の会社がガラスびん屋で主に食品用のびんが多かったから、多少関係あるかと意識して入った。

でも結果的に大学卒業後はすぐに後を継がないで飲料メーカーに就職して。営業職だったけど、次第に元々夢としてあった飲食店をやりたい気持ちが大きくなっていって。そこで修行のために家の近くのスパイスカフェというカレーのお店で週末だけ働き始めた。

そのお店はリノベがまだ一般的ではない時に、セルフリノベーションで作られていて、しかもカレーが今まで食べたことのない味で凄い美味しくて。そこのオーナーは会社勤めを辞めて4年間旅をしながら食について勉強した後、レストランで修行しアパートを自分でリノベして始めたって言うの。

それで会社員からでもお店を始める道はある、と希望を得た。それと同時にこの人の元でなら俺もできるかもと思って、給料をもらわずに1年くらい修行して。飲食業は嫌いじゃないとわかってから、会社を辞めて本格的にレストラン業界で働いたんだよね。

仕事の醍醐味を発見

大川 しばらくしていまの会社を継ぐ話が出て来て。それまで親から何も言われてなかったけど、ある日母親から『お父さん、継いで欲しいらしいよ』って言われて。特にこれまで親の仕事に対して特別な思いもなくて、どうしようかなーって。好きとか嫌いとか、あまりないよね。

高橋 好きか嫌いかというより、当然やるもんだと思っていたからね。そんな気持ちで植物の勉強をしてた。

大川 でも小学生の時に将来の夢を書くでしょ?そこにはっきりと書いていたの、『社長になりたい』って。(笑)

高橋 おおー。

大川 だから、継ぐことが潜在的にあったことに気づいて継ぐことにした。 でも会社に入ってすぐに、メインの仕入れ工場と売り先が両方倒産するという、今考えるとすごい大変な時期だったんだよね。けど、根本的に社会の仕組みがわかってなかったからどう大変かもよくわからなくて。自分もなんとなく業務をこなす日々がしばらく続いてた。

そんなときに当時仲の良かった友人にフリーランスが多くて、みんな仕事を楽しんでやっていることが新鮮に思えて。自分で生きている感じがすごくしたんだよね。一方で自分はなんて子供なんだろうと恥ずかしくなって、自分も自ら築いた何かで仕事を成立させたいと強く思うようになった。
それで自分の好きなことを今の仕事に結びつけて、何か新しい切り口ができないかと考えたの。その一つがユニコーンの仕事。

大川 ユニコーンのメンバーは広島出身で、うちの商品にお好み焼きソース用のポットがあって。それにファンは主婦層も多いからキッチンウェアは需要があると睨んで。ソニーに営業をかけたらすぐに話が進んでグッズ化が実現して。
そんな体験で仕事の醍醐味がわかってからエンジンがかかったんだよね。2016年、ちょうど会社が100周年で俺が社長に代わる年だった。

高橋 すごいタイミングだね。それをやろうと思ったのは社長という立場も意識したの?

大川 子供ができたことで多少の影響はあったと思うけど、その時は素直にもっと自分主導で仕事しようと強く意識したかな。だから社長については意識してなかったと思う。 でも、当時自分主導でやったことが今の会社の核になり会社の売り上げに貢献しているね。

父との関係

大川 俺が社長になる少し前に、とある新商品がスベったことがあったんだよね。(笑)会社に入って数年間は父親に色々と伺いを立てながらやってて。でも結果的にパッとしないことが多くて、都度了承を取っているとスピード感も自由度も狭まっていくから、ある時自分が責任を負って勝手にやった方がいいと思って。(笑)
例えば、地球びんのリブランディングなんかも父親には一切相談しなかった。コストを抑えることのみ意識して、こっそり勝手に始めたの。
でも結果を出せたし、同業者に迷惑をかけないようにしていたから、結局父親からは何も言われなかった。ヒデさんのお父さんは色々と言うらしいけど、地域の人から褒められたりしているんだから、結果認めざるを得ないと思うよね。

高橋 そうだね。父親は一番のクレーマーだけど、逆に言うと身近なところで指摘してくれることで、地域の人から何も言われないのかも。 ストッパーになってくれているんだと思う。

大川 まちづくりで新しいことをやる時に『よそ者、若者、ばか者』という三つの「者」が街を変えるって言うじゃないですか。よそ者はドラスティックに変えてくれるけど、自分の会社を変えながらも永続できるのは、やはり血が繋がっている人間なのかな、と思う。 新しいことをやっているけど、血のレベルで会社のことをわかっているというか。 ヒデさんも千木屋の決まりみたいなものは口では教えてもらってないよね?

高橋 そうだね。

大川 俺も子供のころから会社が生活の中にあって、なんとなくいろんなマナーやルールを肌でわかっている気がして。だからこそ、守りながら新しいことを感覚的にできていると思っていて、そういうスタンスも共感するところかな。

後編に続く