僕の好きな人 vol.5 -前編
Guest 長谷川勝之さん(じてんしゃの保健室 by 千輪)
ガラスびんを軸としながら、さまざまな分野の方とともに日々活動している大川硝子工業所。そんな大川硝子にゆかりのある人と代表の大川が、仕事や生活にまつわるあれこれをトークする「僕の好きな人」。
第五回目の対談のお相手は、「じてんしゃの保健室 by 千輪」の長谷川勝之さんです。元々は大川硝子と同じ墨田区にて「じてんしゃ雑貨店」として運営されていて、自転車の修理などでお世話になっていたというお店。はじまりは一客と店主という関係性でしたが、「#自転車の寿命は直せなくなるまで」というメッセージを掲げて環境問題に向き合う長谷川さんの姿勢には、大川硝子と深くシンクロする部分があるようです。
フィールドは違えど、近い価値観を共有しながらそれぞれに取り組む二人。異なるバックグラウンドを経て、どのようにして共通する問題意識に辿り着いたのでしょうか。物腰柔らかく、それでいて強い芯を持つ長谷川さんのこれまでに迫りつつ、何を見て、何を考えてきたのかじっくりお話しいただきました。
大川 長谷川さんとの最初の出会いは2014年に遡りますね。キンダーフィーツという木製のバランスバイクをお店の前に出されていたのを奥さんが見つけて。元々気になっていた自転車だったので、それを聞いてお店に行ったんです。
長谷川 2014年だとお店をオープンしてまもない頃ですね。積極的には販売していないものだったんですけど…(笑)
大川 ああ!そうでした(笑) 後でしっかりお話しできればと思いますが、「自転車を売らない自転車屋」ですもんね
長谷川 雑貨屋と自転車修理をメインとしていて、基本的には自転車自体は売っていないんです。ただ、キンダーフィーツはチョークで絵を描けたりして、乗らなくなっても遊ぶことができていいなと思って展示していたんですよね。
大川 あの自転車に乗っていた娘はもう12歳になりましたが、下の子も甥っ子も乗って、十分役目を果たしてもらえたと思います。本当にお世話になりました。
そんな「自転車を売らない自転車屋」を運営されている長谷川さんですが、自転車との出会いからお聞かせいただいてもいいですか?
長谷川 子どもの頃から自転車に乗って出かけることが好きだったんです。親が働きっぱなしでほとんど家に一人だったので、海に行ったり山に行ったりいろんなところに行ってたんですね。迷子になったりちょっとドキドキしながらも。自転車の魅力にはまっていたという感じではないですが、自転車があったことですごく楽しんでいました。
大川 なるほど。
長谷川 そのまま歳を重ねて大学生になるんですが、あまりお金がなかったのでずっと自転車に乗り続けていたんです。ぼくらの世代だと、大学生になるとステータスとして車に乗る同級生も多かったので、自転車はダサいみたいな扱いをされていたんですけど(笑)
大川 ああ〜確かにそういう価値観がありましたね。大学にも自転車で通ってたんですか?
長谷川 そうなんです。家から大学まで山を越えるような道のりを自転車で通ってましたね。車を持っていない人でもバスやバイクを使うような立地だったので自転車を使う人なんていなくて、大学内では「自転車=長谷川」みたいなイメージになっていました(笑)
大川 メンタルも脚力もすごい…!
長谷川 大学は大阪で実家は石川だったんですけど、帰省するお金もなかったので自転車で帰ってました。ギアが一段しなかいシティサイクルで。
大川 あはは(笑) それって所要時間どれくらいになるんですか?
長谷川 20時間はかかってないくらい…ですね。途中でどこかに泊まるお金もないので、朝3時に出発してひたすら走り続けました。自転車があればどこにでも行ける、という感覚はそういう経験から来ていますね。
大川 いや〜すごい…自転車でどこにでも行けると言っても、普通はロードバイクとかじゃないと無理だよなと思うんですよ。そういう自転車を揃えようとは思わなかったんですか?
長谷川 はい、ただただお金がなかったので(笑) 帰省の時に乗った自転車なんてホームセンターで一番安いものでした。周りに何か言われても「俺は俺だ」くらいにしか考えていませんでしたね。
大川 長谷川さんってどんどん前に出ていくタイプではないけど、芯の強さというか不屈の精神みたいなものがありますよね。
長谷川 車に乗る友人を見てそれなりに羨ましい気持ちもあったと思いますけど、自分には持てないからもう仕方がない、正当化するしかないという感じでしたね。
大川 そこがすごいですよね。自分がそういう立場だったら自暴自棄になっていたと思うな。
そうして自転車に乗り続け、確か大学卒業後は自転車の会社に勤められたんですよね?
長谷川 実は、新卒は全然違う会社だったんです。元々警察官になりたいと思っていたんですが結局叶わず、とりあえずという形で選んだ会社に就職しました。入ったからには一生懸命働くつもりではいたんですけど、やっぱり気持ちが続かなくてすぐ辞めてしまって。
そこで自分の本当に好きなことはなんだろうと考えた時に、やっぱり自転車かと思って自転車製造販売大手に転職しました。
大川 その会社ではどんなことをされたんですか?
長谷川 最初は店舗の販売担当でした。そもそも自転車は漕ぐのが好きというくらいで専門的な知識もなかったので、まずは店舗に放り込まれて先輩に一から教わりました。
大川 現場で知識を身につけていったと。自転車業界に転職してからは前向きに働けるようになったんですね。
長谷川 そうですね、特に転職したばかりの頃は向上心があったので、自分なりに目標を立てたりして。大学では中国語を専攻していたこともあり、それが武器にならないかと考えたんです。そんな時に後の社長となる商品部長が店舗巡回で来る機会があり、「もし海外展開を考えていたら僕が中国に行きますよ!」と勢いで言ったんです。
大川 一スタッフがいきなり直談判(笑)
長谷川 で、そんなことを言ったら社内で急に「長谷川を鍛えよう」といった流れになってしまって(笑)
その後すぐ異動になり、関東で一番忙しいとされる店舗を任されることになったんです。これくらいの店舗を回せないと中国に行かせないぞという感じで、まさに死に物狂いで働きました。そうした経験を経て、満を持して中国に行くことになるんです。
大川 すごい。着実にステップアップしてますね。
長谷川 会社としても上場して勢いが増していた時期で、僕も世界を股にかけるビジネスマンになるぞという気持ちでしたね(笑)
大川 中国では店舗の立ち上げを任されるんですよね?
長谷川 そうです。任期3年と言われて飛び込んだんですけど…結論としては挫折しました。というのも、まずはじめに会社から言われたのが「中国は変化が早いから日本の4倍のスピードで成長しろ」と。
大川 おお…なるほど。
長谷川 当時はやってみないことにはわからないし、逆にやれるのは俺しかいない!という気持ちで中国に渡ったんですよ。でも、日本での経験があっても中国語が話せても、異なる土地で一から立ち上げるのは大変なことでした。
大川 どういったことから始めていったんですか?
長谷川 まずは現地でスタッフを採用したんですが、誰も自転車の知識が全くなくて。さらに日本だとノウハウや仕組みが積み上がっているけど、中国だと一からなので、接客、レジ作業、点検の仕方など全ての作業を教えることから始めていきました。
とはいえさすがに一人では対応しきれないので、最初は日本人スタッフもいたんですけど、数ヶ月で帰国してしまって…。
大川 日本で新店舗を立ち上げることとは全く別の苦労がありそうですね…。
長谷川 そうなんです。一応日本でのノウハウがあるのでそれに沿ってやろうとしても、現地の人からは「ここは中国だ。日本のやり方を押し付けないでほしい」と反発があって。一方で日本の本部からの指示もあるので、まさに板挟みでしたね。
大川 会社的には上場から海外展開まで広げて、勢いを伸ばしていきたいかもしれないけど、現場は結構苦しい状況だったと…。
一から立ち上げということでいろいろなことをしなければいけなかったと思いますが、中国では基本的に店舗で販売することがメインだったんですか?
長谷川 自転車の製造は中国で行っているので、どうやって自転車が作られているのか工場に研修しに行ったりもしましたね。流れ作業ではあるんですけど、いろんな部品をいろんな人が手を加えて1台ができるのを間近で見れたのはすごく印象に残ってます。
大川 中国で販売する中で日本とは違うなと思ったことはありますか?
長谷川 当時の中国の経済状況はそこまでではなかったので、すごく悩んで自転車を買ってくれるお客さんが多くて。鍵一つも、バイクに使うような頑丈な鍵を買うんです。例えば自転車が15,000円だとしたら鍵に5,000円かけるみたいな。自転車を盗まれないように大事にしようという気持ちがすごく伝わってきたんです。
一方日本は、放置自転車が問題になっていた頃で。直すより新しい物を買った方が安い、早い、とどんどん買い替えては引き取った古いものがバックヤードに溜まっていく状態も見ていたんですよ。放置自転車ビジネスなんかも生まれたりして。
大川 放置された自転車を直してまた販売するんですよね。
長谷川 そうした状況に、今で言うSDGsウォッシュみたいなものを感じて。地域に放置自転車がなくなり、さらにその自転車を有効活用できることは一見いいことなんですけど、あくまで放置自転車ありきのビジネスじゃないですか。それがビジネスとして優れているとか、環境に素晴らしいと評価するのは短絡的だなと思ったんです。
大川 目の前の問題は解決するかもしれないけど、それ以上のことは見込めないですもんね。
長谷川 結局は儲かるからやるわけで、環境問題に向き合うならもっと根源的なことをしないといけないんじゃないかなと。そもそも放置されないようにしていかないと何の解決にもならないですしね。
大川 本当その通りだと思います。そういったモヤモヤからまた別の道に進むことになるんですか?
長谷川 そうですね。とにかく自転車を売って売って売りまくって、中国でも4倍のスピードで!と頑張ってきたんですが、どこか疲弊している自分もいて。会社としては顧客満足度を追求して安くて新しいものが買えるように努力するものですが、そこに疑問を抱くようになってしまったんですよ。
大川 それが一番わかりやすいですもんね。
長谷川 それを追求した先に何があるんだろうと考えてしまって。それなら違う満足度を創出することにチャレンジしてみてもいいんじゃないか、素直に自分がやりたいことをやろうと思ったんです。そこから今の取り組みに繋がる「直しながら使い続ける」ということへの価値観が徐々に芽生えていきましたね。
大川 大企業にいたからこそ得られた経験もあれば、自分の価値観との相違が明確になった感じですね。次のステップはどうやって考えていったんですか?
長谷川 転職するにしても他の業界は考えられないし、やっぱり自転車が好きなのでそれで何かできないものかと。とりあえず「自転車は売らない」「固定費をかけない」という二つの条件で何ができるか考え始めたんです。
大川 自転車に関わることをしたいと思う中で「自転車は売らない」という条件が真っ先に挙がるのがすごい。
長谷川 そうですね。その条件はもう固まっていたので、まずはとにかく固定費をかけない物件を探し回って。ここはいいぞと思ったのが鳩の街通り商店街の鈴木荘でした。
大川 墨田区向島にある歴史の古い商店街ですね。
長谷川 すでに本屋さんが入っていたんですけどもうすぐ閉店するとわかり、商店街に問い合わせると「一回顔出しに来なさい」と当時の理事長に言われて。それで集会に行ったらそのまま面接になり、雑貨屋と自転車の修理をやりたいんだと説得して、晴れて貸してもらえることになったんです。