大川硝子工業所

読みもの

狙う意思と委ねる勇気。リブランディングを今振り返る

僕の好きな人 vol.8 -前編
Guest 坂本真理さん(デザイナー)

ガラスびんを軸としながら、さまざまな分野の方とともに日々活動している大川硝子工業所。そんな大川硝子にゆかりのある人と代表の大川が、仕事や生活にまつわるあれこれをトークする「僕の好きな人」。

第8回目の対談のお相手は、デザイナーの坂本真理さんです。大川硝子の看板商品でもあるファミリアシリーズ(手さげびん、地球びん、サーバーびん)のリブランディングの際にデザインを手掛けた、大川硝子の歴史に欠かすことができないキーパーソンです。そして、第2回目に登場いただいた関山さんとは夫婦であり、大川とも元々はクラブで出会った音楽仲間。

バックグラウンドは異なれど触れてきたカルチャーは近く、割と突き進むタイプでもある二人。がむしゃらに駆け抜けてきたこれまでを語り合いました。

デザインへの目覚め

大川 最初の出会いは2008年で、僕が20代の頃やっていたDJイベントにお客さんとして関山くんと来てくれたんだよね。そこからクラブでよく会う仲になっていって。

坂本 懐かしいですね。

大川 DJイベントだけじゃなくて、マリちゃんが参加していた展示を見に行ったこともあって、この界隈の人たちはおもしろいなと思ったんだよね。当時は周りに普通のサラリーマンタイプの人しかいなくて、「デザイナー」という職業がどういうものかもよくわかってなかったから。

坂本 私はイベントで大川さんと奥さんが一緒にいるのを見て、めっちゃおしゃれなカップルがいるなと思ったのをよく覚えてます。

大川 えっ、本当!?

坂本 おしゃれだし、話すとちゃんと軸を持っている印象で。DJにしても、流行っているから・盛り上がるからではなく、「自分はこれが好きだからかけるんだ」という意思を感じたんですよ。一本筋が通っているというか。

大川 すごい褒められた(笑) 確かに一貫性があるというのはそうかも。

坂本 そこから大川さんの仕事のことを知ったのは、何かのイベントで大川硝子の年賀タオルを配ってくれた時ですね。実家がガラス屋さんなんだと思ったんですが、その時は窓ガラスのガラスだと思ってたんです。

大川 あはは(笑) まあ最初はそんなもんだよね。でも悪い印象はなかったと。
ちょっとマリちゃんの経歴も聞いていきたいんだけど、元々デザイン系の学校に通ってたんだっけ?

坂本 高校は普通科で、卒業後にデザインの専門学校に進みました。親が服飾系の専門出身だったので服をつくることが身近で、中学の頃は雑誌のFRUiTSが一大ブームの時期だったこともあり、自分もファッションに興味があると思い込んでいたんです。

大川 なるほど。

坂本 でも、通っていた高校は私服OKでおしゃれ好きな子が多く、文化祭にはファッションショーをやるような学校だったんですけど、その時に自分はファッションをやりたいかというとそうでもなくて、ビジュアルをつくる方に興味があると気づいて。写真部に入っていたんですけど、自然な景色を撮るよりも、何かをセッティングして広告とか雑誌の真似事をして撮る方が好きだったんです。グラフィックデザインという分野を知ってからは、パソコンのペイントツールで見様見真似でグラフィックをつくってましたね。

大川 高校の頃からそんなことやってたんだ。そこからどうやってデザインの道に進もうと思ったの?

坂本 進路を考える時期になって美術の教育実習生に相談したら、「やっぱり基礎のデッサンが大事だから、それを教えてくれる専門学校に行った方がいいよ」とアドバイスをもらい、いくつか学校をピックアップして決めた感じですね。

大川 なんか大人だよね。高校生の時点で進路を自分で考えて選択できるのって本当にすごいと思う。僕だったらものを撮るのが好きでも「なんか楽しい」だけで終わって、将来の道に結びつける方向に向かわないと思うな。
専門学校ではどんなことを学んだの?

坂本 3年制の学校で、1年目にデッサン・平面・空間・写真・映像などオールジャンルの基礎を学び、2年目から視覚情報デザイン科を専攻して学んでいきました。

大川 ちなみに絵を描くのは得意だった?

坂本 全然得意じゃないです、好きでもないみたいな(笑)

大川 意外とそこは好きじゃないんだ!

坂本 絵を描くのは好きじゃないけど描けるようになりたくて、必修科目以外も受けて、学校に残ってひたすら描いてましたね。その中で、対象物を徹底的に見て描いたものより、何も見ないで記憶を頼りに描いたものの方が講評で褒められたことがあったんです。力を込めたものだけが必ずしもいいのではなく、力を抜いてつくることもいいものになることを学びました。

大川 手を抜くとはまた違うことだし、打ち込んだからこそ気づけることだよね。

坂本 そうですね。学校ではやりたいことに思う存分打ち込めることができて、すごく楽しかったです。

はじめての仕事の関わり

大川 そこから就職はどう考えていったの?

坂本 とにかく早く仕事をしたかったので、在学中にデザイン会社にアルバイトで応募したんです。それが以前勤めていた会社ですね。

大川 おお、学生の頃から働いてたんだ。

坂本 3年生からバイトし始めて、卒業のタイミングで社長からは「他の大手企業を受けた方がいいんじゃない」と言われたんですけど、バイトでいいのでこのままやりますと言って続けさせてもらいました。
卒業とともに一人暮らしを始めたのでしばらくは大変でしたが、気づいたら会社がどんどん大きくなって、私も実績を積んで社員になれて、生活が安定していった感じですね。最終的に14年間勤めました。

大川 すごい、長いね! そこでは主にどういったデザインをしてたの?

坂本 エディトリアルデザインが中心で、たまにロゴなどのCI・広告・パッケージもデザインしたり、自社の模様ブランドのデザインをしていました。専門学校の頃からエディトリアルが好きだったので、バイトもそういったデザイン事務所を探して入ったんです。好きな分野だったから、本当にがむしゃらでしたね。

大川 確かに、マリちゃんはがむしゃらに働いてるなっていう印象が強かったな。
マリちゃんの仕事のことを最初に詳しく知ったのは、僕が仕事の相談をした時だよね。当時大きい取引先が相次いで倒産して結構厳しい状態だったんだけど、自社で新しい商品をつくって売ればいいだろうと考えて、デザインの相談を関山くんにしたら「俺よりもマリの方が得意だと思う」って言って二人で家に来てくれて。そこでやっとどんな仕事をしているのかを知って、めっちゃ働いてるなこの人って思ったんだ。

坂本 そうでしたね。あとはDJイベントでも仕事してから来たみたいな話をしてたかもしれません(笑)

大川 体力勝負の時代だったもんね。今はどう考えても無理だけど(笑)
それで最初にJoubi300という製品のデザインをお願いしたんだよね。新しく何かをつくるのは僕にとっては大川硝子に入社して初めてのことだったんだけど、商売のこともそこまで知識がないままに進めてたところが正直あって。お金をかけて整えたものさえつくれば売れると盲信していていたら、まったく売れなくて。そこでやっと「売れる商品はどういうものか」ということに向き合うようになったんだよね。

坂本 でも商品自体はとてもいいもので、今も愛用してますよ。

大川 そう、いい商品なんだけど、その良さがわかりづらかったんだなと今は思うよ。
商売としては失敗かもしれないけど、この時にマリちゃんがいろいろアドバイスしてくれたことはよく覚えていて。僕が一方的にああしたいこうしたいと言った時も、いい方向に持っていこうとネーミングやデザインのポイントを丁寧にまとめて教えてくれたんだよね。なんでも盛り込めばいいわけではなくて、ちゃんと受け取ってもらうためにどうすればいいのか、そういうセオリーを教わった記憶がある。

坂本 確かにすごく議論しましたね。

地球びんのリブランディングで学んだこと

大川 その後、デザイン専門学校との産学連携がはじまったり、D&DEPARTMENTが推進していた「60VISION(ロクマルビジョン)」の取り組みを知る機会があって、デザイン的なことが自分に備わってくるタイミングがあったんだよね。特に60VISIONは1960年代につくられたプロダクトをリバイバルする取り組みで、新たにものをつくらなくてもすでにあるものを現代にあった伝え方をすればいいということを学んで。大川硝子にもこれまでつくってきたびんや蓋があるから、それらを組み合わせれば一から考えなくても新しい商品をつくれるなと。

坂本 そうしてファミリアシリーズのリブランディングに繋がったんですね。

大川 特に地球びんは、コメダ珈琲店の全国展開をキッカケに認知度が向上したので、販路を開拓することができるかもしれないと思ったんだよね。それにリブランディングであれば、費用やリスクも抑えられるという点も大きかったかな。
リブランディングした時のことって覚えてる?

坂本 大川さんからの要望はほとんどありませんでしたよね。まず元のパッケージがすごくいいなと思ったんです。今のやり方では狙えないデザインというか。パソコンで組む文字組みじゃない感じとか、フレキソ印刷でちょっと潰れてきてるところがある感じもよくて。リニューアルをするとしても、この路線を継承したもののほうがいい。とにかくすでにあるものを活かすデザインを考えました。

大川 複数の方向で提案してくれたよね。

坂本 最初に提案した案はもっと派手なデザインだったんですよね。地球の絵が入っていたり、地球びん、手さげびん、サーバーびんそれぞれ異なるデザインにしていて。ただ、それをお見せした時の大川さんの反応が、なんか100点ではなかったなと思って。

大川 (笑) なんか違うな〜みたいな。

坂本 そうです。それで大川さんの思いも汲み取りながら、シンプルだけどレトロさのある方向になっていきましたね。当時の潮流としてはポートランドやサードウェーブ系のデザインが流行っていて、感度の高い人はそういったものに飽きてきていると思ったんです。元々あるものを活かしつつ、デザインとしても新鮮に見える方向として、レトロっぽさを取り入れたアプローチがいいと判断しました。

大川 当時の僕はまだデザインの考え方も手探りで、新しいものをつくらなきゃいけないという考えが強かったと思う。だから提案してくれたデザインは好きだけど、もっとガラッと変えるべきなんじゃないかと思っていたところもあって。レトロっぽさを狙うことも懐疑的ではあったんだよ。

坂本 そうなんですね。

大川 でもそれはすぐに払拭される出来事があって。専門学校との連携が始まって、学生たちにラフ案を見せた時に、「すごくかわいい」「受け入れられる」って反応が返ってきて、思い切って「昭和っぽくない?」と聞いたら「昭和っぽさがどういうものかよくわからないです」って言われて。知らないんだから関係ないかと腹落ちしたんだよね(笑)
結局のところ受け手が判断することだから、レトロだと思ったらそれでいいし、今っぽいと思ったらそれでいい。僕としてはいろいろな選択肢を試した上でこれが一番しっくりきたというだけで。商品のストーリー、デザイン、伝え方まで何度も行ったり来たりして考えたことで、神は細部に宿るというか、いいところに落ち着いたと改めて思うな。

坂本 色合いもいろいろなパターンを検討しましたしね。真っ赤なキャップもありましたが、梅酒をつけるびんなど赤い蓋はよく見るから、差別化のために採用しない方がいいという判断をした記憶があります。

大川 やっぱり元のものを活かすというのは大事なことだったよね。長年蓄積されてきたものって、そればかりはお金で買えないじゃん。そういったことの価値にもリブランディングを通して気づくきっかけになったな。
あと、びんは江戸切子のような工芸品ではなく工業製品だから、爪弾きにされたり結構悔しい思いをすることもあって。しかもうちはメーカーではなく問屋だから裏方的でパッとしてなかったし。でも、このリブランディングを通して、形をつくらなくても新しいものをつくることができるんだとすごく学んだな。

坂本 ファミリアシリーズのリブランディングは2017年のことですが、今でもいろいろなところに販売されていて反響がありますよね。

大川 まずリブランディングして早い段階で無印良品の方に声を掛けてもらって、Found MUJIの中で取り扱いが始まったんだよね。国内の主要店舗から展開されて、その後に海外の店舗にも広がり、そこで海外のバイヤーの目にも留まって。最初にオーストラリアのショップで取り扱いが始まって、まあまあ売れたんだよね。

坂本 すごい。どういった点が刺さったんですか?

大川 日本語がどーんと載っているパッケージがめっちゃクールだって。ひらがな、カタカナ、漢字が大きくレイアウトされている感じが、見たことがないデザインで新鮮に映るということだよね。僕らがポートランドみたいなものをかっこいいと思うのと同じで、日本っぽさがかっこいいと受け取ってくれたんだなと。
あとは、蓋の色にいくつかバリエーションがあって、日本だと白がわりと人気だけど、海外ではビビッドな色が圧倒的に売れる。そういうカラー展開もうまくハマっていて、いろいろな狙ってない部分が功を奏したところが多いんだよね。

坂本 リブランディングの時は、海外のことはまったく意識してませんでしたもんね。

大川 やっぱり評価されてる大きな理由はパッケージみたいだよ。世界的なデザイナーのジャスパー・モリソンが手さげびんのパッケージの写真と一緒に「日本のパッケージデザインには敵わない」ってSNSに上げてたり、Topawards Asia(アジア限定の招待制パッケージデザインアワード)を受賞したり、デザインとしての評価が得られている感覚は海外の方があるかな。
ものが売れる周期って5年だと思っていて、地球びんも2017年に出してからだいぶもう日本に広まったなというタイミングで海外展開が決まって、うまく次のフェーズに移れているなと改めて思うね。