大川硝子工業所

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音楽からエンタメ、そして敬遠していた飲食の世界へ。一軒のカフェで受けた衝撃

僕の好きな人 vol.9 -前編
Guest 松本浩樹さん(Coffee Supreme Japan代表)

ガラスびんを軸としながら、さまざまな分野の方とともに日々活動している大川硝子工業所。そんな大川硝子にゆかりのある人と代表の大川が、仕事や生活にまつわるあれこれをトークする「僕の好きな人」。

第9回目の対談のお相手は、ニュージーランド発のコーヒーブランド「Coffee Supreme」の日本法人の代表を務める松本浩樹さんです。出会いは商品の取り扱いの問い合わせという、よくあるビジネス的なきっかけから、気づけばニュージーランドでのPOPUPイベントの共催にまで発展していった関係の二人。

音楽への愛、担いだブランドへの向き合い方、そして元々は飲食業に興味がまったくなかったという松本さんが、なぜコーヒーの世界に飛び込むことになったのか。エンタメ業界での激務の日々から、ニュージーランドのカフェで受けた衝撃の記憶まで、じっくり語り合いました。

出会いを深めた音楽というシンパシー

大川 松本さんとの出会いは、たしか2023年でしたよね。
ちょうどBINKOPをリリースした年で、当時からコーヒー系のイベントに出店することもあったからコーヒー業界のお店やブランドはそれなりに知っているつもりだったんです。でも、実はCoffee Supremeのことは連絡が来て初めて知って。

松本 そうだったんですね。

大川 最初の問い合わせは、ニュージーランドの店舗へサーバーびんを卸してほしいという相談で。出荷前に松本さんがわざわざ挨拶に来てくれて、そこでいろいろと話をしましたね。
松本さんは元々うちのことをどこかで見て知っていたんですか?

松本 具体的に知ったのはどこだったかな…その頃って結構いろいろなお店に置いてませんでしたっけ?

大川 BEAMS JAPANで取り扱ってもらったり、niko and…でも展開したりと、雑貨やアパレルのお店に並んでいた時期でしたね。

松本 それだ、BEAMS JAPANだった気がします。元々Webなどでもよく見かけていましたが、実物を見ていいなと思ったのはその時ですね。

大川 ありがとうございます。そうやって知っていただけたわけですが、松本さんとの出会いからぐっと関係が縮まった点でいうと、やっぱり音楽の話は外せないですよね。

松本 そこは絶対に外せない。

大川 話のわかるいいお兄さんじゃないかと思って(笑) 音楽で分かり合えたらもう無条件で優勝じゃないですか。

松本 その時点でもうファミリーですよ。

大川 そういったシンパシーもあって、卸しだけでなく一緒にPOPUPイベントをさせてもらったり、大川硝子としてもいい影響をもらっていて、そのあたりも改めてお話しできればと思います。
まずは松本さんのルーツから聞きたいんですが、音楽やカルチャーに興味を持ったきっかけって、誰か身近な人の影響だったんですか?

松本 出身が中野で、育った野方あたりが結構ディープな街だったんです。音楽系のスタジオが多く、イカ天に出演していたようなバンドがよく出入りしていたり、同級生の実家の定食屋がバンドマンの溜まり場になっていてサインがいっぱい貼ってあったりして、自然と興味が向いていきましたね。音楽やカルチャーはずっと身近な存在でした。

大川 こういった話をすると兄や姉の影響とよく聞きますが、松本さんの場合は育った地域に恵まれていたんですね。バンドはやっていたんですか?

松本 ギターはやったんですけど、全然センスがなくて、友達の結婚式で即席バンドを組んでその時だけやるくらい。もっぱら聴く専門でした。

挫折を巻き返す、憧れへの行動力

大川 そういった界隈にどっぷり浸かりつつ、高校卒業後はどうされたんですか?

松本 高校付属の大学に進学しました。そこは理系の大学で、本当は建築学部が第一志望だったんですけど、成績が足りず。結局化学系に進んで、大学ではずっと白衣を着て研究していました。

大川 一緒!

松本 マジっすか(笑)

大川 僕は文系だったんですけど、内部受験で入りやすい学部が理系で。中高とバンドをやっていてもっとやっていたかったから、とりあえず大学にさえ行ければいいと思って何も考えずに入ったクチです。元素記号なんて全然わからないまま卒業しました(笑)

松本 人工イクラとかつくってましたよ。

大川 あはは! 僕も缶詰つくったりしてました。まっとうに勉強していた人は食品メーカーの研究職に就くような学部だったんですけど、僕は大手飲料メーカーの営業として馬車馬のように働かされる方に進みました。松本さんは卒業後どういった道に進んだんですか?

松本 まず2年留年して。

大川 いいですね(笑)

松本 6年間通って、新卒でIT系の会社に内定をもらったんです。でも研修中に「これはちょっと違うぞ」と思って。帰りにタワーレコードで試聴しながら、やっぱり音楽関係の仕事がしたいなと考えて、そのままタワレコの本社に電話したんです。新卒で入れませんかって。

大川 すごい…!

松本 当然「そういう募集はやっていない」と言われたんですけど、ある部署で興味ありそうな人がいるから会ってみないかという流れになり、そのまま入社することになりました。

大川 完全に特殊ルートですね。しかも当時のタワレコなんて、CDがものすごく売れていた時代で新卒採用も激戦だっただろうに。

松本 もうその募集枠は決まっていたはずなんですけどね。タワレコに入社が決まる直前までもともと内定していた会社の研修に通っていたので、親にはかなりびっくりされました。両親とも銀行員で、堅い家だったので。

大川 うちも割と堅い家でした。最初はバンドで食っていくんだと豪語していたんですけど、出鼻をくじかれて。仕方なくツテを頼るという、一番良くないパターンで社会に出ました(笑)

エンタメ3社を渡り歩いた怒涛の日々

大川 タワレコでは最初、どういう部署にいたんですか?

松本 最初はアートデパートメントという、お店の販促物やディスプレイをつくる部署に配属になりました。

大川 新作の棚にある手書きのPOPとかですね。よく見るやつだ。

松本 そこから手作りではなくデジタルでつくりたいというチームができて、僕はAdobeのソフトを多少使えたということもあって、その立ち上げに関わりました。
その後は、新店舗の立ち上げに合わせて出張漬けの日々でしたね。出店ラッシュの時期だったので、いろんな店舗を回ってジャンル問わず何でもつくりました。途中で他部署を兼任することもありましたが、ベースとなる部署はずっと同じでしたね。

大川 その後、転職されてるんですよね?

松本 その次はTSUTAYA オンラインです。カルチュア・コンビニエンス・クラブグループが運営するオンライン事業で、実店舗とオンラインを絡めた販促の企画をいろいろやっていました。海外ドラマの『24 -TWENTY FOUR-』のレンタルを増やすために「24時間寝ずに何本見られるか」というギネス記録への挑戦を企画したり、トリッキーな企画をいろいろ考えていましたね。

大川 へ〜! 面白いなあ。さらにその次もあるんですよね。

松本 その後はコナミで、宣伝部でマーケティングを担当していました。最初はニンテンドーDSのソフトを担当して、次にメタルギアシリーズの担当になったんです。メタルギアは昔から唯一やり込んでいたゲームで、次に転職するならこの会社しかないと思っていて。面接でも「メタルギアを担当したい」と断言していたほどだったので念願でした。小島プロダクションのチームにお世話になりながら、人生で一番きつかったんじゃないかというくらい働きましたね。

大川 音楽やエンタメ業界にどっぷり浸かった道を歩んできたわけですが、それらは若い頃から思い描いていた仕事だったんですか?

松本 いや、本当は建築やインテリアの設計やデザインをやりたかったんです。ただ大学でそうした学部に入れなかったので、そこで一回挫折していて。でも、同じくらい音楽も好きだったので、大学に入ってからワーナーミュージックやシンコーミュージックのグループ会社でアルバイトしたりと、音楽業界へと関心が寄っていきましたね。

大川 なるほど。若い頃に思い描いていたことは形を変えつつ、新しい場所を見つけていったんですね。何でもよかったわけでなく、自分なりの興味関心に従って道を開いていったように思いますね。

39歳、人生の岐路とニュージーランド行き

大川 音楽・エンタメ業界で、十数年の経験を重ねたことになりますよね。そこからどのようにしてCoffee Supremeと出会うんですか?

松本 コナミを離れる頃がちょうど39歳で、その先の40代で何をしようかとずっと考えていたんです。そんな時に子どもが生まれることになり、妻の実家がニュージーランドだったので、向こうで出産することになったんですよ。そこからしばらく日本とニュージーランドを行き来しながら仕事をしていました。

大川 その頃から少しずつ個人の仕事も始めていたとか。

松本 そうですね。ニュージーランドの蜜蝋のクレヨンを輸入したり、「山と道」というアウトドアギアブランドの夏目さんに「NZ現地メリノウールを調達してこい!」と指令を受けて大量の生地を集めて日本に送ったり。次に何をやろうかと、その手掛かりを探っていた時期でした。
そんな頃に出会っためちゃくちゃかっこいいコーヒー屋がCoffee Supremeだったんです。当時オークランドのポンソンビーに「Good One」という直営店を構えていて、そこによく通っていたんです。

大川 通うということはそのお店の近所に住んでいたんですか?

松本 全然です。車で下手すると一時間近くかかる距離でした。

大川 それだけの距離をわざわざ通うくらい気に入っていたわけですね。

松本 空間も好きだし、コーヒーも美味しかったし、何よりスタッフのホスピタリティがすごかったんです。ニュージーランドらしいラフな空気感がすごく良くて、当時の日本にはない新鮮な感覚でした。

大川 それって何年くらいの話ですか?

松本 2015、6年くらいですね。

大川 日本でも独立系のコーヒー店が盛り上がる前の、少しずつ増え始めていたくらいの時期ですね。でも、それまでエンタメ業界にどっぷり浸かっていて、コーヒー業界との接点はなかったんじゃないですか?

松本 全くないですね。なんなら缶コーヒーを飲んでました。

大川  興味がないとそうなりますよね(笑) じゃあ、飲食店のような業態に興味があったとかは?

松本 実はむしろ逆で。元々自分の中で「やりたくない職業」が3つあって、そのうちの一つが飲食だったんです。あとは自分でお店を持つことと、転勤ばかりする仕事。結局そのうちの2つに片足を突っ込んでいるんですけど(笑) 当時は飲食に関して本当に興味がなかったんです。

大川 全然興味なかったんだ…! ただ、飲食店という「空間」自体は好きだったと。

松本  そうです。元々は建築を目指していたので、インテリアや内装はもちろん、そこで流れている音楽とか置いてある小物、そこにいる人にも興味があって。表面的な部分と言われればそうなんですけど、そこはずっと好きでしたね。

大川 なるほど。そういった要素には興味があったから、飲食の仕事はしたくないと思いながらもすべてが嫌だったわけではなかったんですね。自分がそこでスタッフとして働くことはイメージしづらかったというか。だからこそ、それだけGood Oneが特別に映ったとも言えますね。

松本 あんなに何かに感動したのは初めてでした。気に入って通うようなお店もそれまでなかったので。